青色オード・ミー

腐女子が学級会などに言及するブログです。

わたしはTwitterと心中したい

Twitterがどんどん「オタクのための匿名ツール」から「可視化された繋がりツール」へと仕様変更されている。

 

さようなら、わたしたちのTwitter

 

元々、Twitter側としては「オタク用」なんて、暗くてじめじめして収益にも特に繋がらず悪口とエロ画像の温床と化した空間にするつもりはなかったに違いない。だから、勝手にオタクたちが「わたしたちのTwitter」と思っていることの方が間違いで、そんなまやかしなど初めから存在しなかったに過ぎないのだが。

Twitter連携には今まで大変お世話になった。今まで使ってきたサービスたちからは、青い鳥のアイコンが消えてしまった。連携機能そのものは閉ざされていないらしいが、いつどうなるかわからないから撤退を余儀なくされているところも多い。

凍結祭りがあった際には、所持している十数個のアカウントの生存を慌てて確認した。幸い凍結を免れたのは、最近あまりアクティブに活動していなかったからだと思われるが、Twitterをよく使用していた人たちはサブ垢含め凍結の憂き目にあっていた人が多かったように思う。本末転倒。

無料版Twitterでは使用停止が決定したアンケート機能もオタクたちの強い味方だった(と思っている)。次の二次創作のテーマについてのアンケートを、フォロワーたちに気軽に行うことができ、そしてそれをツイートしてみんなと一緒に何か考えている感を勝手に覚えていた。もしくは、雑談として「今川焼」なのか「大判焼き」なのか聞いてみたりとか。

Twitterの度重なる改悪には、これまで耐えてきた。わかりやすかったタイムラインは「おすすめ」に汚染され、フォローしていない人が表示されるばかりかブロックしているアカウントすらはじけなくなっても。どれだけ設定をオフにしても謎に送り付けられてくるおすすめツイートが、通知バッジ付きで表示されるようになっても。

その昔、☆のふぁぼから♡のいいねになり、アイコンが四角から丸型にトリミングされるようになった時にあれだけ大騒ぎしたのが夢のようだ。あんなもの、Twitterの使用感には何にも影響が無かったのに、「☆が♡になるなんて受け入れられない!」と文句をつけて「今後もずっとふぁぼって言う」と宣言していたにも関わらず、今では自然に「いいね」と呼んでいるのだから、あれしきのことでは何も騒ぐことはなかったのに。

これまでですら、新しいアカウント作成についての規制も幾度となくあった。一定期間内には作成できない、登録時には電話番号が必須、自動音声の電話がかかってきて言われた番号を入力する必要がある、等々。そのたびに、どうにか工夫して潜り抜けてアカウントを増やしてきた。これもTwitterとしては想定外の使い方だっただろう。

今後は、電話番号の認証が必須になるとか、一人一アカウントを基本するとか、様々なことが言われている。現在のアカウントが全く使えなくなるのでなければ、今までは履いて捨てるように使っていたTwitterアカウントのひとつひとつをこれからは大事に使っていなければいけない。(黒歴史クリーナーを使って、アカウント転生の際はちゃんと身辺整理をしようと思ったが、黒歴史クリーナーは未だに使用することができるのだろうか)

今までのぬるま湯のようにオタクに優しく、呼吸がしやすかったTwitterがどんどん変わってきてしまっているのに、今までのままをずっと求めてTwitterに居座っている。

結局のところ、もう無理なのだ。息を吐くようにツイートし、スマホを手に取ったらまずはTLを眺める生活が骨の髄まで沁みついてしまっている。今更生活習慣は代えられない。

沈む船と分かって逃げられるネズミよりも愚かなので、新しいツールに今から移行することも考えていない。今のところ、多少息苦しくても、TwitterTwitterの形を保っているので。今後もきっと、なんだかんだと文句をつけながら居座り続けるのだろう。本当に今度こそ、某CEOに強制的にアカウントを取り上げられない限りは。

わたしはTwitterと心中したい。

リバと逆カプの違いについて

 タイトルの件、結論から先に言うと「”A×Bというカップリング”と、”A×BのこともB×Aのこともあるカップリング”は別物である」という話だ。以上でも以下でもなく、このことについて無駄にダラダラと述べようと思う。

 まず、私は左右固定ではないカップリングのほうが多い。解釈が一致していれば、リバも逆カプも読むことができる、むしろ好きだ。しかし逆に解釈が一致していなければ、あらゆるカプは読めない。逆カプとかそれ以前に「その組み合わせ」はできれば目に入れたくない、といった気持ちにすらなる。

 ただし、左右固定派の気持ちもわかる。結局左右固定派も私と同じで、「逆カプは解釈違い」だから左右固定なのだ。だから、私たちは棲み分ければうまくいく。私はいくら解釈が一致していようと、左右固定派を公言する腐女子に対して逆カプ、リバの話はしないし、逆にABならAB、BAならBAの人とその話をする分には問題ない。

 しかし一部には左右固定派の中でも過激が言動が目立つ人たちがいるもので、「逆カプはあり得ない」「この二人のことを好きと思えない」みたいなことを言われることがある。私たち腐女子はあくまで可能性の話をしているだけであって、商業BLのようにすでに決まった二人の組み合わせをひっくり返そうとしているわけではないのだから、可能性の想像は許して欲しいと思うのだが……。

 閑話休題、更にその一部――見かけたことがあるというだけの意見なのでこれが左右固定派の総意だと思っているわけではないのだが、このように思っている人を目にしたことがある。

 それは「逆カプ=リバ」の図式。

 左右固定にこだわらないほうが多い腐女子から一言、物申してもいいだろうか?

 

 「逆カプ」と「リバ」は全くの別物です!!!!!!!!

 

 左右固定派の方からしてみたら、もしかしたら両方とも同じぐらい気が狂っているように見えるのかもしれない。そして私たちの中でも明確に、「逆カプ」と「リバ」の間で棲み分けがきちんとされているのかと言われたら、それはそうでもない、それは認めよう。ABとBAの人たちがきっちりと分かれて生息しているほどは違いはない。

 でも、「逆カプ=リバ」かのように言われたらそれは違うと言いたい。それはもう、声を大にして。どれぐらいの違いかと言えば、少しの好みの違いみたいなものだけれども。みかんとオレンジぐらいの味の違いぐらいと言われればそれまでなのだが。

 逆カプとは、ABに対してのBAであり、そのBAが肉体関係的にABになることはないBA固定といったカップルのことである。

 リバとは、ABに対してのABAであり、その日によって肉体関係がABになったりBAになったりするようなカップルのことである。

 ここには明白な違いがある。じゃんけんでその日の夜の相手がどちらかを決めるとしたらそれはABAでリバであり、逆カプではない。Bが常に攻めでAが常に受けで、肉体関係がひっくり返ることがないのであれば、それはBAで逆カプであり、リバには該当しないのだ。

 それを一括りに「逆カプ」または「リバ」と言われたら、それは違うということだけは言っておきたいのだ。つまり、個人的な解釈として、「逆カプ」はアリだが「リバ」はナシなカップルもあれば、「リバ」のほうがメインだと思っていて「逆カプ」(及びAB)はあまりしっくりこないと思っているカップルのことだってある。

 左右固定ではない時点で、左右固定派から見たら「節操がない」と思うかもしれないが、私たち「逆カプ」も「リバ」もものによっては嗜む腐女子にとっても、違いや棲み分けはあることだけ、頭の片隅に覚えていてもらいたいと思う。

炎上したことがあるジャンルとそのオタク

 自ジャンルが炎上したことはありますか?

 何をもってして炎上とするかはその人の価値観によっても異なるだろう。自ジャンルで学級会が開かれた、ファンのマナーが悪い、などオタクの暴走といった「オタク側の問題」によって炎上と呼べる規模の騒動になることも多々ある。

 ただ今回の場合の炎上は、「運営に問題」があった場合に限った話をさせてもらおうと思う。

 自ジャンルが炎上したことはありますか? 私はある。あるというか、ハマりかけていたジャンルがそういう風に燃えたことがある。

 私がハマりかけていたジャンルで起きた「運営の問題」はトレパク問題だった。検証画像などが次々と上げられ、当時覇権をとっていたジャンルだけあってそういったツイートは毎日のように流れてきた。最初に見つかったものから芋ずる式に色々と「トレース」や「パクり」といった問題があったことが明らかになった。

 自ジャンルと呼べるほどまでハマっていなかったということもある。でも、「トレパク問題」にはどうしようもなく心が離れた。トレパクは決して許されるものではない。それは当たり前の共通認識で、更にオタクをしていればなおさら強く感じることだろう。自分が好きな作品が、トレースされたら? パクられたら? と考えれば、より強く「トレパクは絶対にダメだと」感じることだろう。

 だからこそ「トレパク」が出てきてしまうジャンルは、オタクをするジャンルには適していない。トレパクをするような運営はきっと他にも同様に杜撰な管理体制があることだろう。運営が良くないジャンルを好きになっても、自分が不幸になるだけだ。

 でも、それよりも何よりも、「トレパクジャンルを推しているオタク」という状態になることが耐えられなかった。トレパクは決して許されるべきではない、なのにそれを許容して、他人の作品を踏みにじっているものを「好き」だと表明するなんて。トレパクを許すオタクになりたくない、その気持ちが一番強く働いた。

 でも、炎上したジャンルでもある程度オタクが残る。一時覇権を取ったジャンルとなおさら、その数は少なくない。自ジャンルと言えるほどまでハマった人間は、運営やファンがおかしくてもなかなか作品が「好き」だということをやめられない。そういうものなのかもしれない。

 でもやっぱり、炎上をしたジャンルからはまともなオタクは離れていく。運営に失望して、害悪ファンに嫌気がさして、その理由は様々でもオタクである以前にまともである人間は「杜撰な運営」や「暴走するファン」といったまともじゃないものが耐え難くてジャンルから離れていく。そのため、炎上後のジャンルには、まともなオタクが残りづらい。

 正直、そんなジャンルに残り続ける理由が理解できない。トレパクを許すオタクになる、まともなオタクが消える、運営がまともじゃないことが分かっている、そんなジャンルに残り続けるメリットが無い。

 もちろん、作品のことを好きになっちゃったらそんなメリット、デメリットで判断できるものではないのだと思う。好きになるのは、意識してなるものではない。でも、炎上が起きたら、「嫌い」になる理由にはなる。

 どうしても、炎上が起きたジャンルで盛り上がり続けるオタクを見ると思ってしまう。まともなオタクが消えたジャンルに居続けられるオタクに対して、「あんな炎上をしたジャンルなのにまだいるオタクということは、害悪なのかもしれないな」と。少なくともトレパク炎上で黒がほぼ確定した状態で、そこにとどまり続けるオタクのことは害悪としか思えない。

 炎上の理由は様々な理由で、一部の害悪オタクの暴走だけならそうは思わないところも大きい。でも、やっぱり、ジャンルそのものの治安が良くないところのオタクだと聞くと、「あの中に居られるということはこの人自身ももしかして?」と思わざるを得ない。また治安の良くないジャンルにいることが、オタクをしている上では、良いことが起きる確率よりも悪いことが起きる確率の方が高い。そんなジャンルからは早くいなくなった方が身のためだ。

 炎上したジャンルにいることは何もいいことが無い。それを踏まえたうえでもなお、そのジャンルにとどまり続ける覚悟があるなら、自ジャンルと呼び続けるといいと思う。私は決しておすすめしない。

絵描きそれぞれに絵の癖があるように、字書きにも文章の癖があるという話

 文章を読んだり、書いたりする人にとっては当たり前の話ではあるが、文章の癖というのは絵の癖のように人によって全然違うものである。

 絵描きの場合には絵柄と呼ばれるそれは、文章の場合には文体と呼ぶのが正しい日本語のように思われる。

 文章には癖がある。それも如実に出る。絵柄と同じぐらい人によって異なり、絵柄と同じぐらい「今までに読み書きしたもの」によって影響を受ける。同じテーマ(キャラクター)でイラストを描き、誰がどのイラストを描いたのか予想する企画のようなものを目にしたことがある人もいるだろうが、その字書きバージョンも世の中に存在している。もっとも、字書きの場合には同じカップリング同じテーマ(あるいはタイトル)で話を作ろうとも、ストーリーの組み立てからして異なるため、どちらかというとそのネタの違いに目が付きやすいが、文体も全く異なる。

 絵描きがそこまで通ってきたジャンルによって、「少女漫画がバイブルだった」「男性向けエロ漫画を通ってきた」「萌え絵が得意」「筋肉ゴリゴリの少年漫画畑で育ってきた」など絵柄に反映されるのが見て取れるように、字書きの文体にもその人が、今まで読んできた文学、文章を推測することができるほどにまでに癖がそのまま文章に出ていたりもする。

 またジャンルによっても好まれる文章は違うもので、字書きによってはジャンルを移動するごとに文章が変わるような人もいる。冒険譚と、恋愛小説では文章の色が違うように。でもそこにある文章のリズムのようなものは変わっていなかったりして、それもまた面白い。

 こんな記事をわざわざ読んでくれる人は文章を読むのをあまり苦に感じないタイプの人だろう、という予想はあるが、よく「小説は読みづらいから漫画しか読まない」という人がいる。二次創作において、漫画やイラストの件数は多くても小説の投稿数が少なかったり、またついているブックマークの数に天と地ほどの差があったりする。ブックマーク数の格差があるのは仕方がないことだが、良作の小説にブックマーク数が少ないのは読者として切ない気持ちになる。

 よく、漫画に対しては「絵柄が合わなくて読めなかった」「絵柄が好きじゃなくてハマれなかった」という言葉を聞くことがある。それは、実際問題人の好みだし、絵が好きじゃなければ評価ができないということはあるだろう。でも反対に、「絵柄がすごい好みだからめちゃくちゃ好き」ということも起きているはずだ。

 文章にも、それはあると思う。

 文字を読むのがそんなに好きじゃないという人もいるとは思う。でも、漫画も文字数としては結構多い。文字を読むのが苦手だと感じた原因はそもそも何だったか? 学校で押し付けられた国語の教科書なのか、それとも読書感想文を書くためだけに読んだ文学だったのか。自分が好きだと思って読んだ文章は本当に無いだろうか? 小さいころに読んだ絵本は?

 もしかしたら、文章が苦手だと思っている人は、その時に読んだ文体が合わなかっただけかもしれない。好きな作品の二次創作なら読めるかもしれない。さらに、二次創作を書いている人達の中でも文体は全く異なる。一度読んでみてダメでも、他の字書きの作品なら面白く読めるかもしれない。字が書いてある文字列そのものを読むことが苦手なのではなく、前に読んだ文章の文体、つまりは絵でいうところの絵柄が好みじゃなくて好きになれなかっただけかもしれない。そう思って、他の作品も読んでみて欲しい。もっと、小説を読む人の人口が増えて欲しい。

 そこまでして苦手な小説を読まなくても、漫画で二次創作を楽しむからいい、と言われたそこまでだが。字書きとして、他人が書いた文章を読むのが好きで、二次創作の小説を読むのが大好きな一読者として、もっと読者が増えて、そして作品数が増えてくれればいいのに、という個人的な願望の話。

Privatterのパスワードについて

 今回はいつものような学級会案件とは違う話をしようと思う。

 アクセス解析にアクセス元として「Privatter パスワード違う」という検索ワードが表示されていた。

 なぜこのワードで当サイトが引っかかるのか、今までに一度もそのことに具体的に言及した記事を出したつもりは無いのだが、折角だからそれについての記事を書こうと思う。(もともと小説サイトを長年運営している中でも、いまいちアクセス解析でアクセス元として表示されるものが本当に関連があるのか謎だったことは多かったので、その理由については気にしないとして。)

 この、Privatterのパスワードがどうしても当てはまらない問題。ついこの間Privatterでパスワードが分からずに友人に知恵を借りた際に、個人サイトの「パスワード」について思い返していた。

 個人サイト時代のほうが「パスワード」を設定している作者が多かったように思われる。原作名は界隈の人以外にはそれと分からないように、カタカナ、アルファベット表記の原作名は漢字に。反対に、もともとが漢字表記の原作名の場合には、カタカナやアルファベットに変換して「何の作品の二次創作を公開しているのか」を記載していた。

 そうしてやっとお目当ての二次創作にたどり着いてから出てくるのが「パスワード」だ。

 でもこの「パスワード」が厄介だった。

 パスワードはあくまでもその作品を知らない人が見てショックを受けないように、興味本位では開けない程度の難易度で、かつ作品を知っていればそんなに難しくない程度の難易度に設定されている。

 大体のサイトは、普通に原作を履修していればヒントを読むことで解くことができる。大体のサイトは。多少分からなかったとしても、「何年に生まれた設定だっけ?」といった少々コアだが調べればすぐに出てくることだった。

 いくつか解けずに苦い思いをしたサイトがある。

 「右側の誕生日は?」とかはまだ良い方だ。例えば、1月1日生まれのキャラクターだったら「0101」がおそらく誕生日を示す文字列だ。しかし、これで入れない時がある。その場合には、以下の3つのパターンが考えられる。
・そもそも0を入れずに「11」とする
・生年の「1993」から入れて「19930101」
・生年+0を入れない日付で「199311」

 「0101」で突破できなかった時点で、分岐が3つになる。でも、誕生日の場合は大体これで解ける。

 でも「好きな食べ物は?」「好きな動物の名前は?」とかになってくると途端に複雑になってくる。「好きな食べ物」がチョコレートなことも、キャラが飼っているペットの猫の名前が「ミミ」なことも知っている。でも、好きな食べ物が「チョコ」なのか「チョコレート」なのか、好きな動物は「ネコ」と入れればいいのかペットの名前の「ミミ」と入れればいいのか、それとも「ミミ」を表す伏字の「33」を入れるのか…。

 これと、誕生日とか他の数字などが組み合わさった場合はもっと訳が分からなくなってくる。

 試しに、パスワードのヒントが「好きな食べ物+誕生日」の場合を出そう。
①choco0101/②choco11/③choco19930101/④choco199311/⑤chocolate0101/⑥chocolate11/⑦chocolate19930101/⑧chocolate199311/⑨choco+0101/⑩choco+11/⑪choco+19930101/⑫choco+199311/⑬chocolate+0101/⑭chocolate+11/⑮chocolate+19930101/⑯chocolate+199311

 一応解説すると「好きな食べ物」の分岐が「choco」と「chocolate」と二つあり(何も説明せずにアルファベット表記にしていたが、大体パスワードの入力は半角英数字しかできない)、「誕生日」の分岐が「0101」「11」「19930101」「199311」、更にパスワードのヒントに書かれていた「好きな食べ物+誕生日」の「+」があるなしで更に分岐がある。

 別にこれを全部入れるのはいい。別に、大変なだけでいいんだけれども。でも、この組み合わせの全部を入力するだけでそこそこ時間がかかるし、パスワードは大体「●●●●」みたいな形で入力されるから本当に正しく全パターンを試せているのか不安になってくる。でも、問題は、これを全部入力しても入れない時がある。

 パスワードが設定されているところのサイト主の言葉を読むと「これぐらいは作品のことが好きならわかって当然ですよね! だからヒントとか聞きに来ないでください! 教えません!」(あまりにも解けないことが悔しかったので多少の悪意を入れた形で書いてしまったが)みたいなことが書いてあることがある。

 もちろん、「パスワードの問い合わせはメールまで。個人的に問い合わせいただいたらお教えします」みたいなことを書いてくれている人もいる。ありがたい。でもそう言ったことを書いている人のページは、さっきの組み合わせを試し続ければそのうち解けるぐらいの難易度だしそもそものヒント設定が優しい。

 誰にも聞けない、答えは一生分からない。これだけたくさん試したのに、作品を結局見ることはできない。見えなければ見えないほど悔しくなってくる。

 パスワードをかけることは別にいい。若干パスワードの内容が厄介なのも、うっかり関係者に見られたり、または逆に全く関係ない人が意図せず突破できて作品を見てショックを受けるよりは全然いい。その結果、二次創作に影響がでるよりもよっぽどいい。だからパスワードをかけることは一読者としては歓迎まである。

 でも、本当に分からない。

 分からないのは本当に困る。

 だから、できればでいいから、パスワードのヒントとして「文字種」と「文字数」を指定して欲しいと思うのだ。

 さっきの「好きな食べ物+誕生日」で言うなら、「好きな食べ物(英字5文字)+誕生日(数字4桁)」

 これで、それぞれ好きな食べ物「choco」で、誕生日が「0101」を入れればいいことが分かる。「+」を入れるか入れないかぐらい試すのは別にいくらでもやる。文字種と数が指定されていさえすれば、好きな食べ物が「チーズケーキ」だと勘違いしていたときにも「英字5文字」の時点で思い込みが分かるし、もしこれで「誕生日(数字8桁)」と書いてあったら「生年も入れるのか!」と分かる。

 ヒントが理解できずに解けなかったならまだ私がその作品を読むのには未熟だったのだと諦めることができるが、文字種も文字数もわからないとなると「文字種が違うのでは?」「文字数を変えたら…?」といつまでもあきらめもつかない。

 読みたいのに読めない…。キャラのことは知らないわけではないのに、文字数だけがいつまでも分からない…。思いつく限りのパスワードを売っても開かなくて泣く泣く諦めることが何度もあった。きっとこれからも何度もあるだろう。

 もし現在すでにパスワードをかけて公開している、またはこれから公開を考えている人がこれを読んでいたら、私と同じように悲しい思いをする人が一人でも減るように、ヒントを書く際に参考にしていただければ幸いだ。

原作未履修の二次創作について

 ちょうどツイッターのトレンドに入っていた件のことから、「原作未履修の二次創作」ということについて少し思ったことを言いたいと思う。

 今回の某ジャンルのことだけではなく、全般の「原作未履修の二次創作」について話をしたいと思うので、アカウントを作成し当該ツイートをした方の意図と外れてしまうことはご容赦願いたい。


 まず、原作未履修における二次創作の問題点をまとめたい。

①「二次」創作であるため、原作を知らない状態で作るのはおかしい(孫引き、キャラブレ問題)

②「原作が好き」な人たちによる創作であり、原作に触れないのはおかしい

③原作未履修では原作(一次創作)に一切利益がでないため

 

 基本的に原作をなるべく全て見てから、二次創作を行うべきである、という認識は二次創作を行う者の間では共有されているべきだと思う。

 

①「二次」創作であるため、原作を知らない状態で作るのはおかしい

 「二次創作」という名前の通り、二次である以上、一次作品がなければ成り立たないものである。原作未履修ということは、二次創作あるいはそれに準じたもののみにしか触れておらず、そこからネタを引っ張ってくるということだ。

 それは、論文などで言えば「孫引き」で、何かを引用する参考にする際にはその一次資料に当たるという「常識」から外れているという問題がある。

 それに、孫引きが問題なのは一次資料に当たらないことによって、しっかりとした正しい情報が提供できないことにある。孫引きを行うと、一次資料の情報との「ズレ」ができてしまう可能性がある。二次創作においても同じことで、「原作ではそんなこと言ってないけどそんなこと言いそうだから」と広まっていたことが、あたかもそのキャラが原作でもそうであるかのように扱われるようになってしまう。

 もともとのキャラと「ズレ」てないうちは表面化しないが、「ズレ」たときには原作のキャラが好きな人にとっては地獄になる。「○○ちゃんはそんなこと言わない」ということを、知らない、知ろうとしない人たちによって作られた「○○ちゃん」の二次創作は、「原作に登場する○○ちゃん」の二次創作ではなく、二次創作のさらに派生の三次創作化してしまう。そして、創作する人、それを受け取る人が原作を知らないと、三次創作化してることに気が付かない。そんな、危険性がある。

 

②「原作が好き」な人たちによる創作であり、原作に触れないのはおかしい

 二次創作というのは「ある作品(原作)が好き」な人たちが集まって派生作品を作る、というものである。そのため、原点であるはずの「原作」に触れないのに原作を好きというのはそもそもおかしい。

 今回の場合は原作はゲームであり、ストーリーについては原作の内容を「見る」ことだけなら実況などでできる。ただ、それは他人がなぞったストーリーを見るだけに過ぎない。そうして他人の手を介している以上そこで見たものは、本などのレビューを読んだだけということと大して違いがない。

 その作品をを好きな人たちにとっては、原作を未履修のちゃんと知らない状態で「好きになった」と言うのはおかしいし、「愛が足りない」ように見えても仕方がない。

 

③原作未履修では原作(一次創作)に一切利益がでないため

 原作に触れていないということは、原作の「売り上げ」には一切貢献していないということだ。売り上げは原作の存続に直接関わってくる。なんだっていい、アニメなら視聴率でもレンタルの売り上げでも公式放送の再生数でもいい、できればお金が絡む形での「売り上げ」に貢献できるのが一番ではあるが、公式が出してるものの数字に貢献できればとりあえずはなんでもいい。もちろん、一番はゲーム、円盤、本を直接買うことだが。そうして公式が「人気コンテンツ」として稼げると思えばグッズがでて、アニメ化され、続編が出て…となる。

 でも二次創作だけ、では公式にお金どころか数字にも貢献しない。二次創作を見て、作って、だけでは公式はそのコンテンツの人気を計れないし、稼げると思えなければ続編は出ずにジャンルごと衰退する。

 そのときに悲しむのは、今まで原作を好きで、原作を買って貢献していた人たちだ。

 

 これらの前提の上で、あくまで二次創作は原作を履修してから行うべきである。

 ただ、私は「原作未履修では二次創作を行ってはいけない」とは短絡的に結論づけられないと思う。

 

 端的に言ってしまえば、場合によっては原作未履修でも二次創作を行ってもいい場合があると思う。

  大分語弊があるこの言葉の言い訳をさせてもらう。

 原作未履修、とはまずどこからのことを指すのかという問題がある。例えば、原作が漫画だったりゲームだったりする作品の「アニメのみ」を見た場合はどうなのか。原作が完結済みならば、アニメで原作の内容をすべて知ることもできるが、連載が続いていたり続編があったりする作品では「アニメのみ」では「原作を履修した」とは言い切れない。このような場合においても、「原作未履修」だと必ずしも非難されなければいけないのか。

 また、「アニメのみ」に限らず、そもそも原作の一部しか見ることができていない場合にはどうなるか。完全に続き物のゲームの中で1作品だけ、漫画だったら10巻までしか読んでいない、など、「一部分だけ」しかまだ見ていない場合には「原作を履修した」とは言い切れない。

 このような、「一部分だけしか見ていない」と「完全に原作を見ていない」が原作未履修かどうかという問題において今までにはしばしば混合されてきたように思う。

 この間、話題になった某ゲームでは、単純に、新作――シリーズ作品の中での「今作」を実際に自分でプレイしたことがない人たち、がやり玉に挙げられていた。それだけならば問題はない。今回の問題では単純に問題とされてきた人たちが今作をやればいいのだから。

 でも、これが派生して「全部原作を読んでないと/見てないと/プレイしてないと」といつの間にか「作品を楽しむハードル」が上がることがあるのではないかと思う。それは、正直私は歓迎しない。いままで10年以上続いたゲーム作品を1から最新のものまで一気に全部やるのは無理だし、100巻以上ある漫画はそう簡単に買い揃えられない。アニメだって円盤じゃなくてもレンタルするのでもなかなかお金はかかるし、まず何よりも時間がかかる。言い訳にしかすぎない、原作への愛があるならそれぐらいのことは頑張らなければいけないのかもしれない。でも、それをずっと求めることで、原作そのものへ愛を持つことが難しくなるのは良くないことだと思う。

 二次創作はあくまでも原作への愛があってするものだ。だからこそ、原作は履修するべきだ。人によってそれがどの程度までしなければならないことかは違う。少なくとも「履修しなければならない」のは正しいことだと思う。その原作が、コンテンツが今後も存続するためには、アクティブユーザーがいることを示さなくてはならないから。

 ただ、一部しか「まだ」履修することができていない人のことを否定することもできればしたくない。その人たちは、これからもっと履修して、もっと好きになってくれるかもしれないから。同志を増やすために、否定して欲しくない。

 「履修しなければならない」ことを前提として、できれば「まだ」履修することができていない人たちは開き直らずに謙虚にいて欲しい。誰しも、自分が大好きな作品のことを「ちゃんとは知らないけど大好きです!」なんて言っては欲しくない。ただ、わざわざ「これから頑張りますから見逃してください」とへりくだったり、好きという気持ちを押し殺して絵の1枚も描かないなんてことはしなくていいと思う。アニメの内容までしか知らないならアニメの内容まで、今まで履修した範囲のことを超えない形で二次創作するなら、わざわざ「ここまでしか読んでません」なんて宣言する必要もないと思う。何も問題はないと思う。今回の話の論点からは大分逸れてしまったが、「原作未履修」としていま話題になっている以上に、責められる側の範囲が拡大しなければいいな、とそれだけは思う。

 そうして、いまは「まだ」履修できていない人たちは、好きの気持ちを持ってこっそりと履修を進めていって欲しい。

文字書きと誤字脱字報告

anond.hatelabo.jp

 ひとりの文字書きとして、とても「分かる」と言いたい話だった。

 元増田に対して、「そんな程度で筆を折るなんて」「むしろありがたいと思え」と言っているコメントが多くみられる。その気持ちは分からなくもない。でもそれは、プロとして、「商業」ベースに乗せる前提の話であり、「今できる精一杯を」「かかったお金と同等のお金で頒布する」という形をとって行っている同人向きの話ではないと思う。

 前にも、「誤字脱字は最低限文字書きとしてしてはいけない」といったツイートを見たこともあった。その気持ちはもちろんある。誤字脱字があっていいと思っている文字書きは恐らくいない。だからこそ、「誤字脱字」を見つけてしまった時のショックがあるのだ。

 誤字脱字報告に受ける作りて側のショックの大きさは、おそらく、作品を作品として受け取る、つまり「読み手」にしかならない人にはあまり分からないのかもしれない。

 「読み手」は完璧な作品が欲しい。特に同人誌として「お金」を出す以上、金銭の授受はそれに伴って多少なりとも期待と責任が生じる。できることなら、自分の好きなキャラクターの、自分の好きな話を、その中で作品のそのもののイラストの描写力や文章力、構成力と違った「誤字脱字」なんてくだらないもので興ざめになるは嫌だと思う。

 でも、私が今まで作り手として作品を同人誌という形で出すときにも同じことを思っている。普段の生活があってその中でも「楽しいから」と締め切りに追われながらぎりぎりで本を出す中で、作るものは二次創作の同人誌でただのアマチュアでも、「お金をもらう以上、完璧なものを作りたい」「期待してもらってるのだから、その期待にこたえられるように責任をもって作りたい」そう思って作っている。

 それは、読み手としての自分がどうしても「期待」してしまうから。それを即売会で出すために必要だった実費しか払っていなくても「お金を出したからがっかりしたくない」と少しは思ってしまうから。それが普段の私なので、作り手になった時にも同じことを思っている。

 だから、誤字脱字報告がショックなのだ。「ここが間違ってました」と言われるのは、「ここに欠陥がありました」と言われるということで、「もしかしてがっかりさせちゃったかな」「お金まで出してもらって『期待』してもらったのに申し訳ない」と思う。読み手の私がそんなことを思ってなくても、作り手としてはどうしても、自分が読み手として抱いてきた「期待」が嬉しくてそこに「責任」を感じてしまう。

 報告をしてくれる人は全くの善意のこともあるだろう。好きだからこそ読み込んで、気づくところもあるだろう。でも、それを言われることで「申し訳ないな」と感じてしまう。だから、必死に誤字脱字を無くそうとする。でも、「本」として出せるぐらい小説を書くと、文字数はかなりになる。私が出した中で最も短いもので4万字程度。

 私は、Pixivに上げた作品を後日読むと2万字程度あれば必ず1回は誤字脱字を後で見つけて編集することになるし、同人誌では最後のエンディングのシーンで全く同じページを2P入れてしまうという大失態をやらかしたことがある。(頒布した後に気が付いてデータを確認したところ、完全に自分で編集時に同じページを繰り返し入れていた。あの時の本をお手持ちの方には大変申し訳ない。)いままで数冊しか出していないし頒布数も少ないためか、本を手に取ってくださった方からは一度も指摘を受けたことはない。

 元記事の原文は上で読んでいただくとして、そのままここには引用しないが、その誤字脱字報告がPixivなどのオンラインでいつでも編集可能でなおかつ相手がそのコンテンツを受ける際に金銭の授受が関わらない場合なら、話は別だろう。

 自分の作品の誤字に恥ずかしさを覚えながらも、まだ「ありがとうございます」とだけ言ってその感謝の気持ちだけで後は修正するだけだ。でも、一度刷ってしまったものは元に戻せないし、ましてや頒布してお金と交換して他人の手に渡ったものはどうしても戻せない。

 誤字は、書いていると気づかない割に読んでいると違和感が強い。だからこそ「手に取ってくださった方に申し訳ない」とすぐに思う。

 もちろん誤字脱字が無いのが一番だ。その申し訳なさを感じないためには「誤字脱字報告」など受ける余地が無いような、少なくともその点においては完璧なものを作ればいい。でも先にも言ったように、それをアマチュアが、特にその「手間」自体にはお金を貰ったりもしないものを完璧に仕上げるのは難しい。

 文字書きにもいろいろといて、誤字脱字は絶対に起こさないように5回も6回も読み返して、何人かの人に頼んで誤字脱字は絶対に起こさない人もいるだろう。その人たちは純粋にすごいと思う。

 でも、私はできない。必要ないとすら思っている。そこまで頑張って誤字脱字を撲滅することに意味があるとは思えない。そんなことに時間を使って神経をすり減らすぐらいなら、文字数を少しでも増やしたり、読み直して物語そのものをブラッシュアップすることに使ったほうがいささか有意義だと思う。それでも、誤字脱字報告は心が削られる。

 誤字脱字を絶対に許さないという考え方もあってもいいと思う。また、元増田に報告をし続けていた人はそこまでの強い意思はなく、作品作りの手伝いとしてそう言っていたのかもしれない。たぶん文字書きの中にも、同人誌の誤字脱字報告を喜ぶ人はいるとは思う。

 ただ、私は文字書きの視点としてはオフ活動の誤字脱字報告はしないしされたくないと思っている。このような考え方もまた一つの考え方で、元増田に対しての意見のように「気にしなければいい」「筆を折って正解」「誤字脱字報告は善意」と押し付けるのではなく、「あーそういうのもあるんだー」と素直に受け止めてもらえたらいいなと思う。

 

 

2021.08.17追記

Twitterで回ってきた記事を読んで「これだ!」と思ったので掲載させていただきます。

私の上記内容とは必ずしも一致しないのですが、読んでみてとても腑に落ちました。本質的にはこちらのほうが感覚に近いかもしれないです。

utap.hateblo.jp