感想は欲しいと思うのに、感想を送れないのはなぜか
こんな記事がツイッターでバズっていた。
実はこのブログを開設したのは、この記事を読んだからであったりするので、本懐を遂げるために記事を書く。
文章中にも書かれているが、無駄に長いので勝手に要約すると、「マイナーカプにはまるきっかけになった作家が、自分の嫌いな別カプに移動したことを今も恨んで拗らせ、監視しつづけている」といった内容だ。
簡単にしすぎたので、この記事を読む前にぜひ元記事を読んでほしい。
私がこれを読んだときにまず最初に思ったのは、これを書いた人の言う「作家」が自分自身のことなのではないかということだった。実際にこの書いた人が私のことを知っているかどうかではなく、私の作品をブクマしてくれた人も同じようなことを思っているのではないか、といった不安。
私は多ジャンルに簡単に手を出すタイプで、よく175腐女子と言われる人たちが興味を示すような覇権ジャンルを渡り歩いていないだけで、やっていることは175腐女子と何ら変わらない。新しいジャンルに手を出したからと言って、前のやつを一切書かなくなるわけではない。時々何かをきっかけに再燃させては、その時に投稿することはある。ただ、更新の頻度は確実に落ちる。でもこれも全部言い訳だ。
この元増田の指摘する「好きなものがコロコロ変わる」「好きなものをすぐ捨てられる」ような軽薄な人間で間違いない。
ジャンルの移動、もとい新ジャンルにはまるのは、元のジャンルでの評価が得られなかったからではない。あくまで私の意見ではあるが、評価がもらえなかったことが移動した直接の原因ではない人が多いとは思う。証拠でもなんでもないが、私が過去で一番評価が得られたジャンルは、結局そのあとすぐに好きなものができてしまって半年程度しかいなかった。評価は貰い続けていたにも関わらず、だ。
おそらく気が変わりやすいだけだ、と自分では思う。だから、ジャンルの移動に深い意味はない。瞬間風速的に大好きだったから、その時には「一生このカプのことだけ考えて生きていきたい」なんて言っちゃうかもしれない。はっきり言ってそれは嘘だ。ごめんなさい。
でも、そんな私でも直接感想を貰うと新しい作品を作ろうかなと思う。
「あなたのABが好きです!」そう、直接言われたら。ABからの熱が冷めかけていても、その人のために一つぐらいは作品を出す。絶対に好きって言ってくれる人がいるなら。
二次創作をやっている人からしてみて私は不誠実かもしれないが、特に熱を持っていないカプでもジャンルそのものを一回履修していれば、友人からお願いされて作品を上げることがあった。「誕生日だからCDかいて!」と言われれば基本応えてきた。別にCDというカプを推したことは一度もなくても。
作ることに義務を感じているわけではない。友人がどうしてそのカプを推すのか、という話を一度聞いて、その観点からCDについて考察して、そしてささやかではあるが書くのは、一応原作を履修していればできないことではない。熱がないので、そのあともCDの作品を作り続けることはできないが。
感想を貰った場合もそうだ。しかも、その場合には熱が冷めかけていたとしても一度は熱を持っていたカプ。誕生日のCDよりも簡単にできる。感想を貰って嬉しいと思わせてくれた、そのお礼みたいな気持ちだ。だから、一本作った後にABに戻るかと言われたら、多分ない。でも、感想のたびにまた新しいものを一本作ることはあるかもしれない。
非常に浮気者な自分だからこそ、その時に一番熱を持っていないジャンルに対してさ作品を作ることができるのだろうなと自分では思っている。
ただ、熱が冷めかけているものに関して、自分の中で再燃することがなく、またそういった感想を貰うこともなくもう一回作品を出すかと言われたら、そんなことは絶対にない。再燃はよくするタイプなので、しばらくしたら何か作るかもしれないが、ないかもしれない。自分でも分からない。
だらだら書いたが、私が感想を貰ってもう一度書くのは「調子に乗ったから」だ。それがそのあと評価されなくてもいい。ただ、絶対に喜んでくれる人がいると分かっていたら、そうやって喜んでくれることがどれだけ嬉しいか、その思いだけで書く。
私みたいな、変な奴もいる以上、たびたび言われていることだが絶対に感想は書いたほうがいいとは思う。
ただし、私も感想をかけない側の人間だ。
感想、というのは難しい。
作者に送り付ける感想は、自分が感動したからというよりも、作者に喜んでほしいから送る意味合いが強い。なぜなら、私が感想を嬉しいと思う人間だから。
だからこそ、どうしたら作者が喜んでくれるのかを考えてしまう。
そうして考えてしまう。
「どこに気が付いてほしかったのかな」「どこを好きって言ったら喜ぶかな」
そうやって書いた感想が健全であるかどうかはこの際置いておいて、そんなことを私は考えてしまう。
作者は作品を作っている以上、その中で何か伝えたいことがあるはずだ。それは、Aくんかわいい! であることもあるだろうし、Bくんかっこいい! であることもあるだろう。関係が複雑によじれていることの苦しさを表現したいとか、なんかもうそういったものが全部詰め込まれたものが作品になるはずだ。
それを正しく読み手が受け取れたら。作者は嬉しいだろう。
でももし、それを正しく受け取れなかったら? 作者の意図と違うようにこちらが読み取っていたら? 作者は、自分が書きたかったことが伝わっていないと悲しくなるのではないだろうか。
そう、余計なことを考えてしまう。
そのせいで、さんざん考えた挙句薄っぺらなことしか書けないで、全部やめてしまうことが多い。
本当はこんな風になんて考えて作っていない、あなたは何も理解していない、と、そう思われるのが嫌だから。大好きな大好きな作品を作る、作者に幻滅されたくないから。もし、不快と捉えられて、その人が筆を折ったら嫌だから。
何と言い訳をしたところで、残るのは結果を送らなかったという行為だ。
それは分かっている。
作者に嫌われたら、自分はそれをもう好きと言ってはいけないんじゃないか。そのジャンルにいてはいけないのではないだろうか。
相手が何を考えるのかは、他人だから分からない。だから、相手になんて思われるかわからなくて怖い。怖くても、感想は送りたい。
匿名性がないのだ。良くも悪くも。
私は自分が少しストーカー気質のある気持ち悪い人間だと理解している。そのうえで気持ち悪い告白をするが、感想を送ってくれた人のことはそのあとしばらく見ている。ピクシブでコメントを貰ったら、そこからその人のツイッターまで飛んで、非公開リストに入れてみる。何か自分の作品について呟いていないだろうか、そう思って。作品名でエゴサーチをかけて、ピクシブのリンクを張ってくれた人の前後のツイートを見る。何かコメントしてくれないだろうかと思って。
自分がそういうことをする人間だから、反対にそうして見られていやしないだろうかと思う。さっき言ったように、雑食であらゆるジャンルのことを自分は呟くから、何が相手の地雷になるか分からない。
ピクシブでコメントをすれば、ピクシブのいいねとかを見られるかもしれない。リンクをしているツイッターアカウントを知られるかもしれない。
全部、私に繋がっている。相手から私を見られて、どう思っているか分からない。
嫌なことを思われたくなくて、結果何も感想を言わない。エゴサーチしてくれたときにうっかり見たぐらいならいいかと思って、ピクシブのリンクを張るときにちらっとコメントをつけてツイートすることはあるけれど。
それも全部、自分が欲しいと思っている感想を相手には送っていないことだけだ。結果としてはそれだけが残っている。
こんな私だが、感想を送っていた時があった。ログが残っていないから、もう自分がどんな恥ずかしいことを言っていたかは分からないのだが、でも送らなくなってしまった今よりはましだろう。
感想を送っていた時、それは、個人サイト時代だ。当時のブックマークはパソコンに保存をするものだけで、当たり前だが現在のusers表示なんてない。だから、直接評価するしかなかった。読みたいからやっていただけだが、毎日サイトを訪問してアクセス数に貢献していた。ランキングのリンクはぽちぽち押していた。ランキング上位に好きなサイトが入っていると嬉しいと思ったのは、今のピクシブランキングに好きな作品が入ることと同じ喜びだと思う。
そして、個人サイト時代に直接感想が送りやすかったのは、ウェブ拍手があったおかげだ。
今もウェブ拍手のサービスはある。そして、一年ぐらい前か、その時に二次創作界隈でいきなり回帰現象が起きて、みんなウェブ拍手のURLを取得していた。今はお題箱やら質問箱やらマシュマロやら、なんかそんなのがあるらしい。
ウェブ拍手はそのまま「拍手」を送れるサービスだ。一日に最大で10回まで。サイトに設置されるボタンを押すことでお礼ページに飛んで、そこからもっと送ることができる。お礼ページには1000字程度までのコメントを入力できる欄があって、これは完全に匿名で行えた。
ログインしなければならない別のSNSサービスとのリンクが無かったのだ。あくまで作者の人にそのまま「拍手」を送るサービス。さっき言った毎日訪問していたサイトには、毎日ウェブ拍手を上限の10回まで送り続けていた。正直言って自分でも気持ち悪いと思う。
コメントは、送るたびに名前を変えていた。名無しから送られるのも怖いだろうと思ってコメント主の名前は入れていたが、一回使い捨てでまるで複数人からコメントが入っているように送った。これは、特定の個人だと認知されたくなかったから。
時々、レスのページを作っている人がいて、そこのページから返信がもらえた。「〇〇のシリーズが好きです!」と送れば、「ありがとうございます! 続きも頑張って書きます!」とそれだけ。
今のSNSではきっと、作者から返信を貰ったらまた何か「お返事ありがとうございます!」とか返信をしなければいけない気持ちになる。でも、ウェブ拍手では返信のしようがないのだ。「前回と同じ〇〇です!」と言ってもう一回コメントを送ればいいが、別に向こうもそれを期待していたりはしない。
その適度な匿名性がよかった。もしかしたら、悪意あるコメントを沢山送り付けられていた人もいたかもしれない。だから、私がいいと思っているだけで、まったく反対のことを思っている人もいるだろう。匿名性が無いから、悪意あるコメントを送れなかったと。
そういえばこの間ウェブ拍手がはやった時にも、悪意あるコメントを送り付けられて困っている大手さんがいた。でも、悪用しようと思えばツイッターでも他人の攻撃はいくらでもできるから、結局はコンテンツではなくユーザーの問題だ。
ウェブ拍手というコンテンツでなくてもいい、匿名で感想を送れれば、あるいはもっと感想というものは前みたいに気軽に送れるのかもしれない。
わがままを言えば、昔の個人サイトのウェブ拍手はサイトの中であればどのページにもボタンが設置されていることが多かった。それが今は、仮に匿名の感想を送れるようなところを設置していたとしても、ツイッターの固定ツイートにしかそのリンクが無かったりする。感想クレクレしているみたいで不愉快という声もあるかもしれないが、ピクシブだったらキャプションに、ツイッターだったら固定ツイートだけでなくbioにも、同人誌だったら奥付にそのリンクが張ってあればもっと楽に感想を送ることができるのにとも思う。
どうでもいいが、私はピクシブのリンクをツイートしてもらうことがとっても嬉しい。もしかしたら、感想を貰うよりも嬉しいかもしれない。感想が欲しいと思っている作者は意外といろいろなところを見ている。もしも感想を送ることができないなら、ツイッターで作品をフォロワーに紹介するだけでも、作者の人に好きを伝えられるかもしれない。
感想は貰えると嬉しい。創作をしている人はほとんどそうなのではないだろうか。
感想が下手くそで苦手な私のような人でも、もっと気軽に感想を送れるような何かが広まればいいなと思う。