青色オード・ミー

腐女子が学級会などに言及するブログです。

差し入れの自己満足

privatter.net

 さて、またツイッターで話題になった。

 

『差し入れ問題』

 元の記事がそこそこ長いので、私の個人的解釈になるが要約すると、

 イベント会場にて「フォロワーの友人」を名乗る面識のない人から、過剰な下ネタを「差し入れ」と言ってもらって大変不愉快だった。

 という話だ。
 いささか要約しすぎなので、事実と齟齬があったらこの記事を取り下げる。
 もっと詳しい内容は上のプライベッターにしっかりと冷静な文章で書かれているので、今回の事態の把握には本記事に飛んでもらいたいと思う。

 さて、今回の件について。

 これはたまたま今回が問題提起となっただけで、前から同じ問題がなかったわけではもちろんないし、またこの筆者と同じようなことを思っていた人がいなかったわけではない。ツイッター上では、似たようなことをされたという人や、同じように不愉快に思っていた人たちなどのツイートも目立つ。

 ちなみに私もその一人だ。

 といっても差し入れを貰った側ではない。貰ってないのに、そのような差し入れに疑問を抱いていたという、まあつまりは第三者なのだが。

 イベント終了後にはツイッター上にいただいた差し入れを写真付きでツイートする人がいる。前にも、「差し入れに手作りは貰うと困る」や「大袋から出されて詰めなおされただけでも気にする人がいる」といったことがツイッター上では流れた。
 そのような中で、「推しの乳首」だのそういったいわゆる「下ネタ」を絡めた差し入れの写真もあった。

 これは単純な好みの話なのだが、そういった「下ネタ」を送りあうことが「仲がいいこと」を示しているような風潮が苦手だ。ただ、まあこれは本人の好みの話だから好きな人たちがやればいい。

 しかし、いま言ったような風潮があることによって、「仲がいいことの証明」として「下ネタを言い合う」ことがあるような気がする。

 また、「仲がいいこと」を示すためになってしまっている下ネタを断ると、その「仲がいい」ということも否定したみたいになってしまうために断りづらくなる。そのため、「ここまでしても許されるんだぞ」「こんなことができるぐらい仲がいいんだぞ」というアピールは過激化していくばかりになっている。

 それが結局今回の騒動に繋がっていると思う。

 「下ネタを言い合えるぐらい仲がいい」というのは送った側の認識に過ぎないし、送られた側がどう思うかはその人によって違う。その自己満足のために、そういう場面での「下ネタ」を歓迎できない人は心をすり減らし続けてきた。

 今回の問題提起者や、それに相続いて出てきた「下ネタ」を差し入れにもらってうれしくないという人たちは、自己満足の犠牲者だ。差し入れというのは本来相手に喜んでもらうためにするもののはずが、いつのまにか自己満足のためのものになっていた。

 自己満足に他人を利用しないで欲しい。

 私は推しの乳首よりも、クッキーやマドレーヌが欲しい。